人は変わる

早い。とてつもなく早い。

来年度に送る年賀状の準備がもう整った。

 

わたし断然手書き派。文字が書きたくてしかたない性分。

さすがに裏書きのオール手書きは無理があるので、ネット広告で何気なくみかけたサイトの早割りのパワーワードに惹きつけられて気が付いたあっという間に注文完了。

そして風の早さでの納品。

仕事が早い。

 

自身もECサイトに携わる仕事をしているので、日々ニーズに合わせて進化を遂げる必要性に追われ、サービス速度の向上を求められる気持ちはわかる。こちとら付いていくのに必死の日々。日本のECサイトのクオリティーと宅配システムはほんとにすごいところまで来ていると感じる。大抵の商品は1日から3日程度で手元の届くのだから。

おまけに時間指定までできるのだからその企業努力たるは素晴らしいものがある。

 

普段は自宅のPCで自分で作成から印刷まで行うのでそれなりに時間を要する。が、今年は既に手元に10日前ぐらいに納品された年賀状があるからあとは一つ一つ手書きのメッセージと表書きをひたすらしていく。ちなみに表書きも混みの値段だったけど敢えてしない。

 

そして、それが先ほどすべて完了した。

書く時間が私にとって至福の時間なので、今感じているのは達成感ではなく、さびしさ・・・もっと書きたい。

とはいっても無い物は無いのだ。

あとはイレギュラー対応でこちらがお出ししてなかった方から頂いた返信分のみを残すだけ。

 

人って変わるものだな―とこの年賀状一つでも思う。今でこそ早割まで駆使して早々に完了させたけど、数年前までは年があけて1日から5日にやっと取り掛かる始末。

リアルタイムであけましておめでとうございますを書いていた。先方に届くのは遅くなるけど心情的には悪くなかった。だって今まだ11月なのにあけましておめでとうございますとか、本年もよろしくお願いいたしますやら、旧年は~などそんなこと書いてるのだからちょっぴり違和感。

 

それでも1日に到着させたい気持ちが年々強くなるのと、まだ年賀状書いていない心残りを気ぜわしい年末年始に持ち越したくない気持ちが大きくなり早め早め戦法に行き着いた。

そして不思議なことに何か一つ早めに備える習慣ができると、あれもこれも早く準備しておきたい衝動に駆られる。

 

今年すでに準備完了したもの

・年賀状

・大掃除(網戸、換気扇を外して大がかりなものまで終えた)

・お年玉の仕分け(我が親族はありがたいことではあるのだけど、親戚が爆発的に多い。今は新札の両替も枚数制限で有料になってしまうのでほそぼそと数か月前から新札を揃えてきた)

年末年始やらなあかんことの最速完了新記録を打ち出した。

さすがにおせちだけはそうはいかないので29日から31日の仕込みになる。

 

こんな記事を読んで頂くとちゃんとした人感が出てるかもしれないのだけど、本当にそんな素早い人間ではなかった。

なんでもギリギリか、過ぎてからしか取り掛かれない人間だった。

 

さきほども書いたけど年賀状は年が明けてから、大掃除しながら年があけ、お年玉においては会う直前になってコンビニでポチ袋を買い求める始末。もちろん新札なんてものは手元にはなくたまたたあればラッキーぐらいで、それ以外はこましなお札を入れるなんとも言えないその場しのぎな対応。下手すると現金すらなくポチ袋を買ったコンビニATMでわざわざ手数料を払って引き出したりして、不経済な話。

 

海外旅行に行くのでも当日しかスーツケースに荷造りしない。帰国したら3日ぐらいは荷解きができないような人間だった。

 

変わるのだ。人間は。

きっかけは人任せにしない、人のせいにしない自己完結型になろうと決意したことだった。

誰かに頼り、助けてもらうの悪いことでなないのだけど、そこに甘えや依存が生じてしまう。結局だれかが、家族がやってくれるだろうは期待なのだ。

約束もない期待を勝手によせてそれが叶わなかったら残念な気持ちになる。

勝手な期待も残念も不要なものだけ気がつくのに随分時間を要してしまった。

かれこれ10年近くかかってしまった。

 

なんでも自己完結、自分で抱えてしまうのかわいくない性格だけど精神衛生上は安定を保てる。

かわいく回りに嫌味なく助けを乞うことができたらいいのでけど、それができないのなら自分で解決していくしかない。

今、行き着いたところは人に過度な信頼と期待を寄せないこと。自分できることがあるなら即決してその時の最善を尽くすこと。

 

でも人は変わるものだからこの先の10年はまたどんな人間になっているかはわからない。

いつでもその時々のベストに変わっていけたらいいな。

可愛げを残しつつ、あらゆることをそつなくこなせるけど、人に頼れる低さをもってるしっかり者とか最高じゃない?