時として悲劇

 

 

相手が望むことを自分が拒絶するとき。その間に悲劇が起こる。

 


家族をしているとその時はたまに訪れてしまう。

 


いや……訪れない家族もいるかも知れないけど、我が家には定期検診みたいに時々訪れてしまう。

 


そして、それは今朝 訪れてしまった。

 


一旦悲劇か間に入ってしまうと、思ってもいないことを口にしてしまったり、折り合いを付けた過去まで引っ張り出してしまう。

冷たい血が流れ始め心にでまでその温度が沁みこむ。そして悲しい時間を経験することになる。

 


その後の後悔。

いかん。

 


軌道修正せねばいかん。

 


それを要するには、一旦別のことをしてみる。とりあえず自然の中に身を置いてみる。そして、書き出してみる。が最近のわたしの処世術。

 


そして行うこと1時間半。見事にクリア。

そして勝利。

 


心の平安を呼び戻したところで今これを書いている。

どこぞの公園の大きな木の下で。

 


いつも思う。

 


予想外の要望やかまえてない突然のパスもキャッチできる度量がありゃーなーとほんとに思う。

 


ジーニーやシェンロンみたいに何でも叶えてあげれる自分がいたらいいのにな。

 


目の前にその2人(2匹?2頭?)のうちのどちらかが現れてくれたならば私は願う。

あなた方みたいに人のを望みを叶えれる側の人間にさせてくださいと。

 


そして、時として悲劇が起こらない喜劇の中で家族をしていたい。

 


見上げた雲が龍みたいだったから、今回のお願いごとは、ジーニーなくシェンロンにお願いしすることにしよう。

 


是非に!お願い申し上げます。雲にそっとそう願いを伝える。

 


あっでも7個のドラゴンボール未回収だったわ。

 


そこから探さなくちゃあかんのか。

願いを叶えて貰うのも、叶えるのもだてじゃないのね。

 

じゃあせめて、悲劇の先に喜劇があるとことを望むぐらいはいいよね。

シェンロン?