記録と記憶
連休の始まり。ちょうど一年前の今日のできごとはなんだったかた? と、曖昧な記憶を辿るために
日記を今朝、読み返してみた。
去年の今日のわたしはそれはそれは夢のGWを過ごしていた。
夢中の夢。旅行のハシゴ。
なんて、ドリームな過ごし方。
今年は予定を立てることも無く、のらりくらりとしてる間に初日を迎えた次第だ。
しかも、長女がまさかの発熱。
今年の連休はお出かけの時間は期待出来ないかもしれない。
家なら家で、それならそれで、楽しむもありか。
また、来年の今日を振り返ったとき、ふとこんな今日を懐かしむなんてこともあるだろう。
記憶を記録としてつけておくことって、その時は特に意味をなさないように感じるけど、時間差でじんわり体に染み込みんでくる。
なので今日のたわいもない出来事がいつかの未来の私の心のどこかに響くかもしれないと記録を残す。
別室で隔離してる療養中の長女の様子をを時々除く。
いる物を聞いたり、食べたいものがあるか確認しては、体調がどうかなと、体温の経過も尋ねる。
今日、何度か目の部屋の訪れた時に、長女の枕元に白いコップがあるのを見つけた。
先程覗きに来た時には無かったコップが枕元に置かれている。
自分で取った?誰かきた?中を覗くと飲みは入ってないみたい…
長女が
「さっき○○○子が持ってきた」 と、妹の仕業であることが判明した。
コップには小さい石ころが20個ぐらい入っている。
なんで?石?
長女に聞くも長女の顔にも?が浮かぶ。
「分からん…。」
「私の歯らしいねん。」
歯をお供えしておくから、元気になって欲しいといって去っていたらしいのだ。
シュールすぎるお供えにポカンする私と長女。
そういえば次女、おもむろに公園に行ってくるといって帰ってきたら、洗面に直行してザブザブ何か洗っていたような動作をしていな。
手でも念入りに洗ってるのかと思っていたら、それはどうやらお供えの石の歯だったようだ。
何となくお供えものを無下にすることが出来ず他のコップやゼリーの空き容器などを片すとき、そっとお供えに伸ばした手を引っ込めた。
供えて置こう。
夕飯時、再び長女の部屋を覗き体調を尋ねてみると、
「治った」
あまり食欲も無かった昼とうって変わって、肉系が食べたい発言。
それは本当に治ってる感じがする。
家族と同じメニューが食べたいというので、病気の時は食べたくないであろう餃子だけだ大丈夫か?確認するとぜひ食べたいと。
妹のお供えから数時間。
その効果なのか、なんなのか長女は復活してきて夕飯は本当に餃子を完食。
今年の我が家の連休はこんな感じで始まった。
この記録を見た時の来年の自分のリアクションはいかに…。