才能
“血が、汗が、涙が、デザインできるか。”
いや、できない…。
だから心が動かされる。
とにかくカッコイイの代表の様な生き様。存在自体がアート。
今日の本は石岡瑛子さんのこちら、
創造することについてを考える度、いつも感動と共に嫉妬めいた敗北の様なものが心の中を走る。
何かを成し得る人には、才能があるのだ。とずっと思っていた。
それは神から与えられたものであり、特別な人だけが手にする産物のようなものだと思っていた。
だからこう感じる。才能というやつが眩しく、疎ましいと。
先日その考えが大きく変わる出来事があった。
才能について記されているとある文を目にしたのだ。
それは才能があるからの一言で成功者を自分とは違う恵まれた人と片付けのはとても傲慢である。といった内容だった。
そして才能という意味を改めて調べてみると、
・ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。
・才知と能力。 ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。
がでてききた。
才能とは生まれ持ったそれだけではなく、訓練によってなしとげる力だったのか。
才能って努力の範疇では及ばないどうにもならないものだと捉えていた。
たがらずっとそれが欲しくて眩しいくて、疎ましかったのだ。
ただ羨望の眼差しで訓練も力も蓄えないそこに自分も人も震わす創造は生まれない。
いつも圧巻のアートに出会うと心が激しく揺さぶられるのは、光と同じたけの影を知らず知らずのうちに体感とした得ていたからなのだろうか。
血が、汗が、涙が、デザインできるかの石岡さんのメーッセージには、血と汗と涙を流してきてから誕生したアートがあるということを説いてるように感じた。
芸術の秋に間違いなく相応しい1冊。