ifの幸せ

連休も今日で終わり。

 

途中仕事したり、子どもたちと万博のロハスフェスタにいったり、友達宅にお呼ばれしたり、逆に来訪があったり、親とランチしたり、夜な夜な家族で人生ゲームしたり‥…

華やかなGWではなかったけど、それはそれでよしとする今年のお休み。

 

毎年、結構ハードに予定を詰め込んでいたけど、その日、その日で予定を決めていく緩さが今の心境に丁度よかった。

 

友達宅には我が子3人引き連れてお邪魔した。友達は今年人生の大きな決断、離婚を選択した。

新たに新居を構えて、家具も一新。

この春、リスタートを切ったのだ。

 

たまたま我が家の近くに越してきたこともあり、子どもとぜひ遊びにきてとのお誘いを受けた。

 

友達が決断に至るまでの苦悩と葛藤を知っているから、リスタートに応援の気持ちはありつつも、何と言声をかけていいのか、正直なところわからなかった。

でも、会えばなんのその。

友達歴はだてじゃない。

30年越え。特に準備しておかないといけないような言葉はいらなかった。

 

単純に新居が素敵すぎて、誉め讃え、子ども達共々感心し、感動し、たわいもない時間をゲラゲラ笑って過ごした。

 

帰り際に、帰宅が名残り惜しくて14歳の長女は、わたしもこんな家に一人暮らししてみたいと…。

 

わかるで。わかる。

でも、デザイナーズマンション3LDKのこの家に住むには、相当のスペックを要するのだよ。娘よ。

並大抵のことじゃないのよ。

友達は役職付きの専門職で、バリバリのスーパーキャリアウーマン。

 

何でも自分の力で手に入れることができる。彼女の唯一叶わなかった夢は子どもを持つこと。

 

子どもには恵まれたけど、一人で生きていくスペックも技能も技術もないわたし。

 

有るものと無いものを並べてみて、比べてみてもそこに正解はないし、どちらが幸せなのか、不幸なのかはわからない。

単純に抜群の経済力があるのは羨ましい…は正直なところ。

 

わたしと友達、二人が持っていないもの両方、持っている人だって世の中には、たくさんいる。

 

家族も子ども仕事も技能もすべて持って無い人もいる。

 

所有してるものだけで、幸せのジャッジはできない。

人からいくら幸せよ、あなたは。なんて、言われても、本人が不幸なら紛れもなく不幸なのだ。

 

幸せは主観なのだ。

 

夜に、その友達からLINEが送られてきた。

子どもと過ごす時間の尊さの感謝が述べられていた。

わたしには持てなかったけど、子どもがいるって幸せなことだね。と。 

自分には育てる自信もないけど…ねと。

 

こちらこそと、今日のお招きの感謝伝える。

そして、部屋の素敵さを改めて言葉にして送った。

 

また遊ぼうと約束し、お互いのそれぞれの日々に検討を祈りあいLINEを終える。

 

あれから数日、心に巡る幸せの定義。

 

ifのもう一つの持てなかった人生が頭をよぎる。

あの時、あの日…。

今から…、今なら。

 

そうしてわたしは今、幸せ? を自分に問う。

 

何があっても、幸せ。

何もなくても、幸せ。