決断の向こう側
今、人生の岐路に立っている。
なんとなーく40代はこうなるだろうと思い描いていた、漠然と想像していたそれとは大きく違くところで佇んでいる。
目の前には行く末の分かれ道がうっすらと見えている。
どちらに進むかの猶予は三か月後だ。
三か月で今の事態が好転しない限りは手放すしかないものがたくさんある。
それは、今所有しているものの大半を占める。
とてつもない局面に追い込まれそ、れでも日々のタスクやこなしていかなければいけない課題は山積みで・・・心情とは裏腹にはたからみたら普通に生きてるよにきっと見えるだろう。
じんわり自分の何かがベキベキと崩れ始めていいるのを感じるも、
結構な極地にいるのに、その状況をどこか傍観している自分がいて、人って案外
強くできてるんだなーなんて思う。
人に相談した時、
「わたしなら耐えられない。。。」
「なんでそこまで?」
「絶対こうした方がいいよー」
「強いなー」
「なんでまだ頑張れるの?」 とか、言われるこれらの言葉。
その気持ちに激しく同意しながらもそこに留まれるというのは強さと頑張りとはまた違うものが自分の中いるような気がする。
逃げる勇気がない。変化も怖い・・・のではないかと感じている。
状況や環境を大きく変える決断ができる人の方がずっと強靭じゃなかいと思う。
一見耐え難いハード局面にいたとしてもその当事者になったとき、その場で留まり、悩んだり、考えたりしながら案外耐えれるものだと知った。
かつて、困難に面している友人に対してもその状況下にいながらなぜに別れないのだ? やら、なぜにそこまで頑張れるだ?なんて思えて仕方なかった。
今なら彼女たちの耐え忍ぶ気持ちがよくわかる。決断には大きな勇気を要するのだ。
そんなことを思いながら、壊れそう中でも人間してる自分のしたたさに感心しつつも、はて?どうしたものかとおののいている。
そんなタイミングで偶然、30年来の友人から久しぶりにラインが来た。
彼女は人生の大きな決断をした。その報告。
まったく同じ状況下ではないのだが、大きな決断を彼女に会いたくなった。そして話したくなった。
久しぶりの再会はお互い涙なしでは話せないと事前に意見が一致したので再会場所は温泉にきまった。
二人してお互いに問題に励ましあい、称えあい、背中をさすりあいながら温泉に浸かりながら沢山泣いた。
それぞれの行く先の正解はわからないまま先にお風呂を上がったわたしは涙と温泉とで枯れたのどをデカビタで潤わせながらロビーでぼんやりと彼女が身支度を終えるのをまっていた。
しばらくしてできた彼女に右手のデカビタをみて笑った。数ある飲料を取り揃える数台の自販機の中からわんぱくなデカビタチョイスに嬉しくなった。そんなことが今はおかしかった。
しかも販売機ではあたかも瓶で出てきますよーみたいな感じやったのに、いざ取り出すと瓶の絵がプリントされた缶で
「缶かーいってだまされたー?」思わなかった?と聞いたら、
「めっちゃ瓶を期待した!」
に、二人で「やんなー!」とまた笑った。
泣いたり笑ったりしながら夜まで散々話しこみ、
「わたしたち三ヶ月後どーなってるやろな?」
「ほんまや。わからんけど、また、ね。じゃーね。」
で、お互いの手を強く握りあって別れた。
未来のことはわからい。
明日のこともわからない。
強さも弱さも正解も落としどころもなんもわからん。
自分に起こった出来事に責任をもって、出来うることに最善をつくして三か月後を迎えるしかない。
書けるようなら、3ヶ月の経緯を記録としてここに残してみようと思った。(苦しくて書けないかな?)
人生の極地を乗り越えた方~教えていただけることがあれば知恵をください。
お花は記事と全然関係ないんだけど、娘が11/25日に初めてのお買い物で買ってくれたもの。
かろうじて枯れてないので飾ってます。
長生きして凄くない?
花だって案外強いのね。