正義とは?

“俺ではない炎上”

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こちらを読んで1人正義の定義について考えていた。

 

正義とは? 正しい道理。人間行為の正しさ。

 

ただその正しさの範囲が人によって大きく異なることで正義の定義も変わってくる。

 

本の主人公、山縣泰介は50代のエリート会社員。

仕事でもそれなりの立場を得て、収入も高い。

自分を慕う部下を何人も携え、人にも他人にも厳しい性格の持ち主。

間違いが嫌いで容赦なく、その誤ちを正す。相手を社外の人間でもそれは問わない。

なぜなら、それが彼の正義だから。正しい行いなのだ。

 

そんな一見完璧にも見える彼が何者かの罠に嵌められる。

乗っとられたTwitterのたった数件の投稿を機にあっという間に殺人犯に仕立て上げられる。

もちろん無実。殺人だなんて正義の塊の彼からしありえないないこと。

 

そして、誰もが自分の身の潔白を信じてくれることに疑いはなかった。その時までは…

 

伏潜がいくつも張り巡らせており、最後まで真犯人がわからなかった。一読だけなら??が頭に飛び交い全てを理解するのに再読を要してしまった。

 

彼は最初こそ自信にみちあふれ、自分への疑いはあっさりはれると確信していた。

が、彼が殺人を犯したことを決定づける証拠が次々に上がる。

その日から決死の事逃亡劇が始まる。

 

逃げどもSNSで逐一拡散される自分の動向。そして、さらけ出される個人情報のの全て。

 

逃げても逃げても逃げ場がない。

 

恐ろしい…SNSの情報伝達網。

 

世間の目、警察、はたまた偽る過激派YouTuberの暴力的な制裁におびえながらひたすら逃げる。

 

正義の人はわからないのだ。

自分のことを誰が落とし入れたのか。

誰に恨みをかうようなことをしたのか。自分を犯人に仕立て上げようとしてる動悸も人物の検討もつかない…。

 

警察の捜査の手、一般人の容赦ないSNSから逃げながら考える。

こうなったら自ら真犯人を見つけ出しかないと。到底一人で無理な状況。自分の無実を信じ、共に真犯人を見つけ出す協力者を探す。

 

かつての部下で最も信頼できる信じれる人のも元へ命懸けで会いにいく。彼ならばと…。

 

願い虚しく…見事なまでに殺人犯扱い。

聞く耳すらもってはくれない。

 

絶望の淵に、ではせめて自分に恨みを持っていいそうな人はいないか?と問う。

 

そこで衝撃を受ける。

かつての部下から飛び出すあなたを恨んでる人は沢山いるでしょうと…。

あの人もこの人と関わる多くの人が彼の正義に心を痛めていた。

彼の正義は人から見た正義とは別のところにあったという事実に打ちのめされる。

 

残ったのは失望だけ。

 

誰も自分を信じてくれる者はいない。もはや家族でさえも…。

 

誰も自分の味方のいないことを悟った彼はたった1人で真犯人を探すべく逃亡劇を続けるのだ。心身ボロボロになりながら。

 

逃亡の末行き着いた先で、ある人物と再会する。

かつて厳しく指導してきた、最も苦手とする他の会社の職員。自分を毛嫌いしてるのがいつも伝わる。

彼の正義に嫌気の差していたうちの一人だ。

 

彼に見つかったということもうだめだ。通報される。一貫の終わりだ…。

それでも自分を弁解する言葉を必死で探し出そうとするももう何も出てこない。

誰も自分を信じてはいない。その絶望感が心を満杯にする。いろんな弁解を超えてでてきたのは

犯人ではないことを告げる言葉だった。

 

どれほど訴え続けても誰も信じようとはしてくれなかったその言葉。

 

彼はいともあっさり、犯人出ないのは知ってます。えっ?

じゃ、この人が犯人なのか?と思いながら読み進めるが違う。

 

発端となったTwitterの投稿文の日本語の言い回しの誤字にいち早く気がつき、彼が犯人ではないことを悟っというのだ。

普段から言葉の使い方に厳しいあなたがこんな間違いを投稿するはずがないと…彼の正義を見つけてくれたのだ。

 

 

誰も自分を信じてくれなかったら中に唯一自分を信じてくれたのは自分が最も苦手とする人間だったという皮肉。

 

話はそこからも最後まで駆け抜けるストーリーなのだけど、とにかく面白かった。

 

読みながら彼の正義が脆くもくずれさり、自分が思うほど人から慕われていなかった事実に胸が痛む。

 

圧倒的な不利な状況の中で危険を起こしても自分を助けてくれる人が自分の周りに何人いるのだろう。自分に置き換えてみて思わずそんなことを考えてしまった。

 

そして、逆も然り。今信じてる周りにいる人たちをどこまで信じることができるだろうか…。

 

希望的観測で家族、友人、社内の人間、全員信じていてほしい、そして信じたいと願うのは自分のエゴなのか。

 

人との関係の脆さが心にのしかかる読後感。

双方の思いが丁度真ん中で同じ熱量で思いあえていたらいいのだけど、それはわからない。

 

その時は同じであったとしても何かがきっかけで想いがずれてしまうこともある。通い合っていた心がすれ違うことなんて誰にでも起こり得る。

 

正義とは?信じるってなんだろ?

正解はわからないけど、たとえ過ちを犯してしまったとしてもそれでも自分の更生を思ってくれる人こそが自分を信じてくてる人ではないだろうか。が行き着いた私の答え。

 

 

どんな悪人でも自分の正義に基づいて行動している。

極悪人ですら自分を善人だと思っている。とカーネギーの本で説いている一説が思い出される。

 

自分の正義が必ずしも万人の正義ではないことを忘れてはいけない気がした。