ささやかな特技
自慢できる技的なものは持ってないのだけど、1つささや過ぎる特技がある。
生け花を枯らさないこと。
もちろん生花は生きものなので、限界はあるのだけど、いかに鮮度を保ち、長くそばに居てもらうかにいつも心を配っている。
まず、飾る場所。
私の戦場であるキッチン。
我が家のキッチンは2階にある。
ちょうど1階から、登って来たところに突き当たりにキッチンが見えるのだけど、その見える所に飾るのがポイント。
1日階段を何往復するだろう?
リビングも2階にあるので、カウントしたことはないけど、10回以上は登っているだろう。
そしてその都度、お花をみては、「綺麗だの、ありがとうだの、階段登って花が見えてたら勇気がわくだの…」とにかく花に話しかけている。
娘にはそんなに毎回勇気わく??全くわからんと…バッサリ斬られるけど。
花をみると沸くのだ。勇気が。
階段登りきっての言葉掛けはほぼ毎回で、朝のおはようからはじまり、今日も、綺麗、まだ綺麗、可愛いありがとうをいつも語りかけている。
そして、毎朝お水を朝イチで入れ替え傷んだ箇所を剪定する。
花の種類にもよるけど、ひと月ぐらいは大体もつ。ものによってはもっと。
今日もまだ母の日にもらった、カーネーションは踏ん張ってくれている。
昔、水は答えを知っているなんて本が流行ったことがあったけど、水を介す言葉のエネルギーを結構本気で信じている。
人にも話にも生き物には、優しい言葉が必要なのだ。
昨日恐ろしくやさぐれる出来事に見舞われた。
もう、自分に敗北。完敗。
学びや理性は遥か彼方へ…
感情がむき出しになる感覚が体を走り回っていた。
そして、そこまで感情があらわになるのは、対家族。主人なのだ。
1晩たって、瞑想や読書、内観、朝活、諸々自分をコントロールすることで、平常心は戻ってきたけど、まだまだ瞬発的に弾ける心。足りないと痛感。心の波の治め方が。
そして、最近よんだ“不機嫌な妻、無関心な夫”本の一説から。
“夫婦は他人。失礼な話し方をしない。”
“家族を他人と思う”
そう。それよ。それ。
他人になら、飲み物1つお願いするのもお願するという圧倒的な姿勢を貫くはず。
ところが家族となると、お茶入れて!とか、お茶取ってとか、酷い場合にはお茶!なんて言われることも…。
家族の中でも、血縁関係の無い1番近くにいる他人。それが夫婦。
(家族には違いないんだけど…)
でも、他人にお願いするような物言いでお願いする。そんな姿勢を礼儀として夫婦間で保てたら素敵だと思う。
そして、実際彼は他人なのだと思って1日接するとまぁ、低い気持ちが芽ばえること。
他人行儀とか、冷たいとかそんなことより、礼儀を持って丁寧に扱われる方が温かい。嬉しい。
花も人も家族も主人も。丁寧に優しく話す。
永遠とは行かなくてもその寿命や輝ける長さはきっと、絶対変わるだろう。
丁寧な言葉を持って明日も、他人である主人と家族をするのだ。
最後に母の日のオマケのお品。
次女作
石のクレヨンしんちゃん。
なんだ! この可愛いさは。
娘からの贈り物はなんだって宝物。