元気があれば
難しい…家族だからこその距離感…。
今、それにどう応えるのが正解なのか悩んでいる。
そして家族といっても血縁関係は無い義理の文字を挟むご両親と兄弟。
いい人とか好きとかそんな次元での事ではなく。
もちろん大好きな人達でいい人達だからこそ、その距離にあぐねいている。
そもそも20代中頃で結婚してから、そこからある日を境に急に家族と呼び名が変わり、親兄弟になるんだから良く考えたら凄いことだと思う。
友達とかもっと深く長く付き合ってきた人を飛び越えて家族になる。
むしろ結婚してまだ数年なら信頼とか思い出とか年限とか友達の方が深くないかとすら思う。
今、結婚して16年。
16年家族していたらそりゃ紛れもなく家族なので大切な人達には変わりは無い。感謝だってしてる。もちろん尊敬も。
信頼を築いたり思い出もある。情もある。恩もある。むしろ恩しかない。主人の源なのだから。
大切な家族。
そう。家族。
今、一家の運命を左右する分岐に直面している。
この先どんな家族形態になるかは誰にも今の時点ではわからない。
そんな状況下にいる自分のことをとてつもなく思って心配してくれてるのが分かるけど…
心配して詮索されることも、哀れんで同情されることにも上手く付き合う自信がない。
かと言って何事も無かったかのようにアハハというわけにはいかない。
現に有りすぎるのだから。
どちらにしても、どう接したらいいのか分からなくなっている。
義理を挟む家族の前で上手く笑えなくなっている。
それが義理なのかと薄情だけど…それが義理なのかもしれない。
ものすごく悲しい言い方をしたら元々は他人だった人達なのだから。
ただ主人となる人の家族だったということ。主人ですらそれは同じ…。
ある種の冷たさが自分に存在する。
それは冷たさの中の愛情なのかもしれないなんて言い訳がしたくてたまらない。
薄情だって情のうちなんて言葉は誰から教わったのか??忘れてしまったけど…
体裁を保つにはある種の元気さとかパワーとかエネルギーを要するものだと気づく。
最低限のパワーを使う余裕がない…。
家族なのにパワー要しないといけないのかな…。
色んなものを飛びこえて、晒せたらいいのにな。
家族なんだから。