祈り

週末の出来事。

 

数ヶ月ぶりに祖母、母、わたし、妹がの親子3代が実家に集結した。

 

実家の台所には【祈り】というタイトルの本が万年置いてある。

 

それは母のバイブル本で、こんな気持ちの時は何に祈ればいいのか? の心得が記してある。

 

ちなみに母無宗教で、何も信仰していない。

祈りの内容はブッダもイエスも出てくるが、祈ることに特化したもので、特定の何かを崇拝しなさいといったものではない。

 

その本は祈りの項目毎に構成されている。

ある祈りについては1ページ、また別の祈りについては8ページみたいな感じで祈りの熱量にやや差異を感じる。

 

そこで、母の考案した読み方がある。

パッと開いたところに今日の祈りが潜んでいるらしいのだ。

 

何気に開いたページが自分の心情とマッチしていることが多いことから、ある種占いの今日の運勢のように何に祈りを捧げるか読んでるんだとか。

 

そこでわたしもやってみたい! と、パラリと見開いた箇所は《愛する》ことへの祈り。

愛についての祈りは熱量の多い方に属する5ページ分の説明があった。

 

愛への祈りが今のわたしには必要なものらしい。

確かにくさすぎるセリフだけど、《愛》が有れば人ってなんでもできると思う。

 

愛の器を広げなさいよと諭されるな文面にその小ささに自覚があるので、はっとした。

《愛》か……。

 

続いて妹は、《悲観》の祈り。

今、超絶苦しいあなたは~みたいな書き出しで、まるでネガティブの底にいるのを励ます内容。

 

思わず?悩んでる?いま辛いの?と聞いてしまった…妹は全くだよーなんて笑っていたので、それが当たってるかは謎のまま。

 

ただ悩みのない人間などいないのだから本当の彼女の心のうちはわからないもの。

それはたとえ家族でも、むしろ家族だから見せたくない心もある。

 

そして祖母。

出たのは《老い》への祈り。御年87の祖母。

 

日々衰えていく体力、気力に少し気弱発言が多くなってきた祖母にピタリの項目が出た。

《老い》は必ずしも何かを失っていくものではない。むしろ老いてこそ得る成熟があるといった内容。

 

《老い》の祈りが妹ではまた違うし、《愛》の祈りが祖母でも違う。

母のあみだした現在の心境を示唆する祈りが出る説はあながちはずれでもないかもしれない。

 

さらにその説を後押しするのが、母の《誕生》の祈りの引き当て。

 

《誕生》の祈りが出た日は兄の誕生日だった。やはりこの辺でますます濃厚になってくる本日の祈りが当たってる説。

 

正しい本の読み方でもなく、作者の意図とも違う無作為な母オリジナルな読み方に親子3代で盛り上がる昼下がり。

 

《祈り》 何か尊い気持ちになった。

 

誰かの祈りも、誰かからの祈りも人の心に灯れば今日より平和な世界が広がるかもしれない。

 

明日は何に祈りましょうか。